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カタチのないモノもきっと有限だから

大学時代、休日は自室のベッドに仰向けになり天井の模様を数えて過ごしていた。

そんな活力に乏しい自分だからこそ強く意識するようになったことがある。

 

この世のありとあらゆるモノは有限でそれはカタチのないものだって例外ではなくて

きっと人の意思だってある程度1日あたりの総量が決まっている。

 

何にどれくらい意思を消費するかは個人の好き嫌い、得意不得意などで異なるのだろう。

例えば飲み会が楽しい人もいれば疲れる人もいるように。

 

意思が有限であるということを自覚すると無駄使いをすることが減る。

気の合わない人間についてあれこれ考え腹を立てたり悩んだりすることが馬鹿馬鹿しく思えてくる。

他人の些細な行動をいちいち気にして気を病むこともない。

どうせなら自分の貴重なリソースを好きなことや親しい人のために割いた方が合理的だ。

 

ただ淡々と自分にとっての最重要事項に有限の意思を注ぐのだ。